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2008年11月29日 (土)

メリーのこと

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メリーというと、メリーゴーランドだったり、メリー
チョコレートだったり、ロックバンドだったりするが、
ここでは赤ちゃんをあやすためのぐるぐる回るおもちゃ
のことを書きたい。

赤ちゃんは動くものを見ると、じっと見つめる習性が
あるらしい。
それは、たとえ泣いていても、泣くのをやめて、見つ
めてしまうくらいに、好きな習性のようだ。
息子は父親が抱き上げると、それは、それは、泣き声
を張り上げるにも関わらず、そばで怪しい踊りを踊る
と、落ち着いてこちらをじっと見るくらいだ。

今となっては抱き上げるよりも、息子が寝ている脇で
身をくねらせている時間のほうが長くなっている。
また、ベビーベッドに寝かせているときは、父親は
自分の健康のことも考えて四股を踏んでいる。

しかし、十分間も二十分間も動き続けているわけに
は行かない。
体力がもたないのだ。
なにしろ、人間メリーはおとなしくはなるが、寝て
はくれないのである。

そこで、おもちゃのメリーの登場なのだが、まさか、
こんなに早く入用になると思わず、実家において
きてしまったのである。
実家からメリーを持って帰ってくるまでは、人間
メリーの活躍が続くことだろう。

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2008年11月28日 (金)

コリックのこと

息子が急に火が付いたように泣き出すようになった。
どこか痛いのではないかと心配してしまうほどだ。

ヘルニアで泣く、ということを思い出して裸にして
みたりもしたが、異常は見られなかった。

さらに調べてみると「たそがれ泣き」とか「コリック」
というものではないかと
思われた。
そうなると、対象法はない(らしい)。
3ヶ月くらいになると落ち着いてくるらしいから、
それまでは、泣いてもあわてないことくらいしか
ない。

しかしだ。
顔を真っ赤にして泣いていると、近所迷惑にも
なるし、なにしろほっとけない。

成長の過程、とは割り切れないものを感じる。
コリック、困った。
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2008年11月27日 (木)

オムツのこと

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ややサイズが大き目といわれるムーニーマンでも、
新生児用のオムツでは、ウン
チを押さえ込めないことが明白になりつつあった。

そこで、奮起してサイズをSサイズに昇格させる
ことになった。
息子、レベルアップである。

近所の薬屋で売っているオムツは、値段が高いの
で、赤ちゃん本舗まで車で買出
しに出た。
そこで、箱買い。

もしくは「おとな買い」。
赤ちゃん用品をおとな買いである。

しかも、2箱。
これで1ヶ月はもつ計算である。
いや、1ヶ月はもってほしい。

あ、いや、だからといって、オムツの許容量を
超えるほどにウンチを溜め込まなくてもよいです。

 

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2008年11月26日 (水)

癒しについて

「癒し」と言う言葉について、ふと疑問に思った。

「安らぎ」ではなくて「癒し」というキーワードであることの意味である。
以前は正常な状態にあったものが、損なわれてしまい、それを元に復することが「癒し」であろう。

ならば、正常な状態とはどのような状態か。
「癒し」を求めている人は、それほどまでに損なわれることがあったのだろうか。
癒しを求めている人の多さや層の厚さを見ても、近年でそれほど大被害が生じるような災厄があったのだろうか。
「不況」だって、いまの20代は物心付いた頃からずっと不況だ。

あるとすれば「生まれてきたことの絶望」や「存在することの虚無」だったり、キリスト教であれば「原罪」なのだろうが、それを「癒す」には「癒し」グッズはチープすぎる。

「絶望」という病から抜け出すことも出来ない「癒し」は、せいぜい「慰め」に過ぎないのではないかと思う。

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2008年11月25日 (火)

うんこのこと

息子は生まれたての頃は1日に10回以上うんこをしていたが、1ヶ月を過ぎて回数が減ってきた。腸にうんこを貯められるようになったのだと思う。

ある日、夜までうんこをしないでいた。
小便は普段どおりにしていたので、あまり心配せず、むしろ、オムツ換えが楽になったと喜んでいた。

ところが、惨劇は食事中に訪れる。
夕食を摂っていると、そばで快調な音が鳴り響いた。というか、特大な快調音だった。
妻がオムツを解いてみると、文字通り、あふれんばかりの大便の海があった。
あきらかにオムツの許容量を超えていた。
オムツは1枚では足りず、2枚で受け止めて処理。

うんこは、1日に適度な回数やって欲しいものだと思う。

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2008年11月24日 (月)

内祝いのこと

出産祝いを沢山の方にいただいた。
内祝いは一ヶ月のうちにというが、なかなか忙しくて、2ヶ月近くたってからの送付になってしまった。

送っていただいた品物や、送っていただいた方の人柄に合わせて、品物を選ぶのは大変なことであり、楽しいものである。

しかし、乳飲み子を抱えて長時間デパートにいることはリスクが大きい。そこで役に立つのが、ギフトカタログである。
一晩かけて、20人近くのあて先と品番を打ち込み、内祝いの送付は完了。

面白かったのが、付き合いが薄い人は、内祝いの返事が電話で、付き合いが深い人がメールだったことだ。
今日は、メールと電話では距離感が逆になっているのではないかと思う。

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2008年11月22日 (土)

抱くこと

息子は、父親が抱き上げると、火が付いたように泣く。
布団におろすと泣き止む。

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2008年11月21日 (金)

授乳中のこと

これまでは、ミルクを飲みながら、排便が出来ていたが、今は、ミルクを飲むのをいったんやめてから、排便するようになった。

これは成長したといえるのだろうか。

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2008年11月20日 (木)

飴の食べ方

袋入りの飴があると、複数種類入っているほうが、いろいろな味が楽しめて得だと思って、そちらを買うことが多い。

その飴の食べ方だが、美味しいほうを先に食べて、一種類だけ残るのがいやなので、2種類入っていれば各種類2個ずつ食べていく。
そうすれば、均等に複数種類の味を味わえるはずである。

しかし、それは各種類に好き嫌いが無い場合に有効な方法である。
嫌いな種類の飴がある場合、美味しいほうを食べて至福のときを過ごした後。義務感からもう一つの飴をなめなければいけない。
良さと悪さが相殺である。

不味いほうを無理して食べなければ良いのにと理屈では分かっているが、将来の大きな不幸よりも、苦しい今の現実を受け止める方が受け入れやすいと感情が語っているのだろう。

不幸の総量(=嫌いな飴の量)は、どちらの方法も変わらないのに。

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2008年11月19日 (水)

成長のこと

子供の成長は、段階的ではない、と改めて知った。

先日も書いたように、父親と母親の区別が付くようになって、父親が抱いても泣き止まなくなってきたのだ。

育児書には、各月齢ごとの成長のことが書いてあるが、2ヶ月目になったから、急に目が見えるようになるわけではない。徐々にいろいろ見えるようになってくるのだ。
ちなみに今は電灯の明かりがお気に入りらしく、抱いていて、電灯の陰になると泣く。

さすがに成長の区切りでファンファーレがなるとは思っていなかったけれども、ゲームのようにレベルアップすると急に能力が付くような、そんな成長のイメージがあったのだ。

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2008年11月18日 (火)

抱き上げること

息子が泣いているときは、抱いてやってあやすのだが、なぜか座っていると泣き止まない。
立ち上がってやると、泣き止む。

高度計を備えているわけでもないのに。
立つと座るで、何が違うというのだろう。

最近、父親は新しい技を覚えた。
子供をゆするのではなく、自身が左右に揺れるのだ。そうすれば、息子をベッドに置いたままに出来るので、疲れにくいのだ。

息子には効き目があるようなのだが、こちらが気持ち悪くので、やっぱり良くないようだった。

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2008年11月17日 (月)

入浴

息子は、入浴が好きだ。
不機嫌で大泣きしていても、お湯につけると静かになる。
今では大人と同じ湯船につかって、気持ち良さそうに薄目を開けている。

昨日は、妻が始めて息子に入浴をさせた。
これまでは、入浴は男の仕事で、実家の義父か父親が入浴をさせていたのである。

浴室で妻に息子を渡す。
すると、息子は何を思ったか、妻の乳にパクリと食いついたのだった。

生後1ヶ月の赤ちゃんは、父親と母親の区別が付いていることが分かって、関心深い出来事だった。

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2008年11月16日 (日)

アイデンティティ

息子が生まれたことで、私のアイデンティティが薄まってきている。

妻が間違って、父親の名前を息子に呼びかけた。
「だって遺伝子の半分は、息子に行っているのだから、しょうがない」
といわれた。
また、実家の母親も飼い犬の名前を呼ぶときに間違って、私の名前を呼ぶことがあったらしい。

拡散する自己、といえば聞こえが良いが、アイデンティティが薄まってきているのだと思う。希薄な存在感が、さらに薄まっていく。

ごく普通の家庭の父親の存在感なんて、犬程度だといわれれば、そうなのかもしれない。

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2008年11月10日 (月)

排泄のこと

まだ生まれて間もない赤ん坊は、何のためらいもなく、うんこをする。
ミルクを飲みながらだって、へいちゃらだ。

ぐずるので、抱いてやってあやしていた。
ふっと静かになるので、寝てくれるのかな、と淡い期待を持つと、快音が響く。
うんこをしたわけだ。
すまし顔で、こちらを見つめると、さあ一仕事済んだとばかりにまたぐずりだすのだ。
いきむとか一点を見つめるとか、うんこをするそぶりを、少しも見せない。

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2008年11月 9日 (日)

ミルク嫌いのこと

母乳で育てていても、いざと言うときのために哺乳瓶にも慣れさせておく必要がある。
しかし、母乳に慣れているので、哺乳瓶の乳首を嫌がる。がんばって50ccしか飲まないらしい。

哺乳瓶を嫌がるのは3つの理由があるらしい。
 ・ミルクが嫌い
 ・哺乳瓶の乳首が嫌い
 ・母親からは母乳で飲めると思っている

昨日、試しに哺乳瓶であげてみると、大きな抵抗もなくミルクを飲んでくれた。
どうやら息子は3番目だったようだ。父親相手に母乳を要求しても、出ないものは出ない。
そこで、あきらめて哺乳瓶を受け入れる気になったのだろう。

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2008年11月 7日 (金)

お宮参り

子供が生まれて1ヶ月。
お宮参りというイベントがやってくる。

スタジオアリスで撮影をすると、お祝い着を無料で貸してくれるという。
子供がまだ機嫌が良いうちにと、朝一番にスタジオアリスで写真を撮ることにした。
着いてみると、すでに七五三の人で一杯だった。

順番が来て、まずは家族全員で写真。それから、親子で写真。
ここまでは問題なし。
ところが、息子単独で写真を撮る段になって、さすがにむずかりだした。
そこで、カミさんにオムツを替えて、さらに少し授乳してもらう。

すると、今度は満足して眠ってしまった。
スタジオアリスの人が、揺さぶったり、タンバリンを鳴らしたりして、がんばってくれるが、眠っているか、おきて睨みつけるかどちらかだった。
それはそうだろう。悪いことをしたなあと少し思いながら、帰宅。

今度は、神社へ。
近所の神社なので、さっぱり勝手がわからない。
そもそも、いくら包めばよいのだろうか。
どのタイミングで渡せばよいのだろうか。

悩んでいるうちにお払いが始まったが、お支払いのことで頭が一杯だった。
ふと、気が付くと、神主さんに玉串を渡されている。

ふらふらと玉串を捧げたが、一礼しただけで戻ってきてしまった。
ここは、二礼二拍一礼するべきところだった。
神主さんから注意されて、引き返し、二礼二拍一礼した。

最後にお札をもらっておしまい。
結局、すべてが終わってから初穂料を渡した。
しかし、カミさんは後で、お札を載せていた三方に、お札をいただいたときに初穂料を載せるべきではなかったかと言っていた。

玉串でしくじっていたので、もう、グダグダだった。

夜、息子はいつもよりも激しく寝言を言っていた。
スタジオアリスで揺さぶられている時の夢でも見ていたのだろうか。

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2008年11月 6日 (木)

昨日に続いて、本の話。

本を整理していたら、2年ほど前に買った本が出てきた。
「他人と深く関わらずに生きるには」
「あなたの話はどうして通じないのか」
「論理的に考える方法」

悩んでいた様子が良くわかる。

今ではすっかり忘れていたが、心の闇の淵の底を覗いていたのだなあと思う。

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2008年11月 5日 (水)

本棚

ある人は、「本棚を見るとその人の人格がわかる」という。
しかし、本棚と言うものがないときにはどうなるだろう。

家が狭いわりに、本がやたらに多いので、本はクローゼットの下に収納されたり、わずかなスペースを見つけて仕舞いこんでいる。
しかも、丁寧にカバーもかけている。

そうなると、人格はどの部分に現れてくるのだろうか。

人格を判定してもらうには、埃にまみれながら、衣装棚にもぐりこんでいただかないといけない。気をつけないと、シャツやネクタイが落ちてくる。

そうか、そういうわかりにくくて、面倒くさい人格ということか。

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2008年11月 4日 (火)

ブラジルグランプリ

2008年のF1最終戦ブラジルグランプリをテレビで見た。
最後まで目を離せないとはまさにこのこと。
漫画家でも、脚本家でも作り出せないストーリーを目の当たりにして興奮してしまった。

レースの経過と背景を詳しく説明すると大変なので、そのあたりは別に調べていただきたいが、実際のレースの流れを見ていないと、この興奮は伝わらないと思う。

ワールドチャンピオンが決まったレースというのはもちろんだが、チャンピオン争いをしている2名だけでなく、各ドライバーの背負ってきたものが、体現されたというのが良いだろう。

見せ場、役割が絶妙の一言で、F1レースの醍醐味を見せられた気がした。

これをドラマにすると発想できる漫画家や脚本家はいないだろうし、かりに思いついても、興奮を読者に伝えられるだけの力を持っている人は少ないに違いない。

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